おはようございます、ちょっと小さいおじさんです。
実に秋らしい秋の朝がやってきました。
こんな時はのんびりとホルモン焼きでも食べたいですね。
さて。
ニュースになっておりますが、アントニオ猪木さんがお亡くなりになりました。
非常に残念ですね。
おじさんが子供のころ、テレビのゴールデンタイムと呼ばれる時間帯にプロレス放送がありました。
日本中がプロレスに、アントニオ猪木に熱中していた時代がありました。
今日は氏の訃報に関し、おじさんのプロレスの思い出を書いてこれを弔辞としたいと思います。
時代はウンとさかのぼっておじさんの中学一年の時です。
失意のうちに受験を終え、公立の中学校に通い始めたころです。
おじさんはすっかりやる気を失って一切の勉強を放り出してしまいました。
塾から解放されたこともあり、学校帰りにはまっすぐ帰宅することもなくなりました。
グレたりとか、そんなことはなかったのですが、無気力人間になってしまったのでしょうか。
そんななか、いくつか熱中できるような事ができました。
そのうちのひとつがプロレスです。
以前、ここに「ブレースリーの通信講座を受講してた」と書きました。
格闘技などに興味があったのでしょう。
強さ、たくましさ、とかそういったものへの漠然とした憧憬があったのでしょう。
体が小さかったからでしょうね。
無いものねだりってやつでしょうか。
みるみるうちにプロレスの世界に引き込まれていきました。
時間は前後してしまいますが、中一のクラスの文集に「将来はプロレスラーになる」と書いたほど。
※親は担任の先生に説得するよう言われたそうです
体が小さくてもプロレスラーになれるというのを知ったのも追い風となりました。
当時、大人気だった小柄なタイガーマスクはまさに希望の星。
ちょっと詳しい場所は忘れたけど、等々力かどこかにあった練習場に何度も見学に行きました。
まだ若かった天龍源一郎に恵比寿で色紙にサインをもらったこともありました。
こんな思い出があります。
これも場所が思い出せないけど、ある日、五反田あたりにあったプロレス用具専門ショップに行きました。
友達なんて居なかったので一人で雑居ビルのようなところの二階に恐る恐る入りました。
お目当てはタイガーマスクのマスクです。
予想を超えた高額なマスクに、それでも勇気を出して購入。
こうしておじさんは憧れのタイガーマスクになりました。
学校から帰宅してはこっそりマスクをかぶる。
鏡の前でポーズをとる。
虎のマスクをかぶってブリッジしたりするヒョロガリクソ眼鏡の小さな中一。
そんな姿を親はどう見ていたのでしょうか。
でもこのマスク、表面のキラキラした虎柄の刺繍はかっこいいのですが、それが災いして裏側つまり顔に当たる面がすごくチクチクして長時間の装着は不可能でした。
小柄なタイガーマスクはほんの少しだけ身近な憧れ。
やはり巨人のような外人レスラーたちはカッコよく映りました。
そんな大柄な外人レスラーは鬼のような存在でした。
そんな外人レスラーたちと戦うアントニオ猪木に対するおじさんの気持ちたるや。
親にせがんで六本木の氏の経営するアントンリブで食事したのはいい思い出です。
一度でいいから銀座の焼き鳥屋でお話してみたかったな。
神のみもと、永遠の命を
それでは今日も元気がなくてもなんでもやれ。
では!