おはようございます、ちょっと小さいおじさんです。
やっと上がりましたね、雨。
すっごく寒くなってしましました。
さて。
ここでさんざん書いてきた「息子の国語の成績が壊滅的だ」という話。
一度、ここに模試の結果をアップしてみたいくらい。
見たら笑っちゃうよ?
真面目な話、これさえどうにかなってくれたらおじさんは腎臓をひとつ悪魔に捧げてもいいと思ってる。
でもどうにもならんだろな、とも思ってる。
ASD児あるある。
諦め半分。
だっておじさんがそうだったんだからどうにもならんでしょ。
実は学校でもこの国語問題に注目しているそうな。
担任から聞くところによると、在校する中二生の多くの生徒の国語力を問題視しているそうな。
ま「多くの」というのがどのくらいの比率で、「問題視」というのがどのくらいのヒドさなのか。
それはわからんケドね。
そこでクラスの朝の時間を使って読書でもさせてみようという話になったそうな。
朝読。
これを採用している学校は昔から山ほどあって、今さら面白い試みでもなんでもない。
逆に言えば、
息子の学校はそんなこともやって無かったのかだから国語がダメなんじゃないか
と思ったくらい。
おじさんは、読書が国語力向上に一役買うかと聞かれたら、自信をもってそうじゃないと答える。
おじさんにそんなことを聞いてくる人はおらんと思うが。
ほとんど友人の居ない学生時代を過ごしたおじさんは、他人に読書の鬼のように言われていたくらい。
そのくらい本を読みまくった。
シェークスピアから官能小説まで読んで読んで読みまくった。
だのに国語の学力が恐ろしく低かった。
読書と国語の学力は全く無関係。
毎度の模試で叩き出される、目を覆いたくなるような点数。
実際に目を覆って国語の勉強を放棄。
共通一次も国語を棄てて戦うしかなかった。
※共通一次の試験前日に入院してしまった話はまた今度
話を戻せば、今の息子はそんな40年前のおじさんの生き写し。
存在そのものが、まるでおじさんのクローンのよう。
おじさんより背の高いクローン。
でもだからといって「じゃあしょうがないよな」って済ますワケにはいかない。
おじさんのようになってもらっては困るのだ。
だから学校で一斉に朝の読書をしまぁす、と言いだしても、
「そんなの国語の学力と関係ないからオッパピー」とは言わないのよ。
できることは何でもやらんと。
悪あがきせんと。
ま、学校のもくろむ読書とやらは国語力向上のためとは違うかもしれん。
ただ今ドキの子は読書をしないと言われて久しい。
毎日ちょっとくらい読書したってバチはあたらんだろ。
だからひとまずその学校の作戦には賛同をしてる。
そんなこんなで生徒は自分で好きな本を持ってくるように言われたそうな。
ただし条件がひとつ。
職員室で声を出して読めるような本。
つまり読んでて赤面してしまうようなふっくらしてしまうような、そんな本はダメという事だ。
悩んでいる息子におじさんは助け舟を出したのよ。
おじさん船頭の漕ぎだした舟は泥船だけど毎日出航。
とある本をご提案差し上げました。
理由あり。
まず、現在息子は釣りにハマってる。
写真がたくさんあれば読むページが少ないので苦痛じゃないだろ、と。
この二点から、開高健の釣りシリーズを。
おじさんの大好きな作家。
この釣り針に見事に食いついた息子。
おじさんは有能な釣り師なのだ。
今では朝だけでなく通学の電車内でも読んでるそうな。
表現がやや難しかったりするけど読みにくい作家じゃない。
どうせそんな文章は読み飛ばして釣りシーンばかり拾ってるはず。
それでもいい。
それで充分だ。
とにかく読んでくれ。
読書と国語の学力は関係ないかもしれない。
だけどどこかで役に立って、そして1点でもいいから国語の点数があがってくれたらラッキーだ。
それを期待してる。
そして読書好きになってくれたら少しうれしい。
それでは今日もワクチン打ってまた打って(キンカン風に)。
では!