思い出される昔の中国の記憶

おはようございます、ちょっと小さいおじさんです。

昨日は強風。

今朝は曇り。

なんか春っぽい空模様になってますね。

さて。

ニュース、見ました?

中国が対抗措置として日本人の新規のビザ発給を止めたそうですね。

しかし、なんかやることがなんだかなぁって思いますなぁ。

ま、停止したらよろしい。

お仕事でお困りの方々も多いはずでしょう。

でも、これを機により一層のカントリーリスクを考える良い機会となるのではないでしょうか。

あの国とお付き合いするってのはそういう事ですわな。

中国と言えば。

いろいろ思い出されます。

今から25年くらい前になるでしょうか。

まず思い出されるのは、あの国のビザを取るに大変だったような記憶。

ちょっとぼんやりしてるけど、なんか大変だったようなことだけ覚えてます。

確か数回にわたって発給してもらったはず。

香港と日本だったかな。

合計4回ほど。

日本で発給してもらったビザは1ページ丸ごとデカデカとスタンプが押されるヤツだった。

当時の中国は不自由だった思い出しかない。

毎回毎回、イヤな思いをして次の国に移動してた。

移動と言えば。

その中国国内の移動も実に不便で不便で仕方なった。

外人差別というか外人区別というか、そんなのが存在してた。

今でこそ大量の外人が街を闊歩してるようだけど、当時は違った。

北京の駅前であっても奇異の目で見られる。

田舎町ならなおの事。

そんなくらいだったから、移動も宿泊も外人は別だった。

おじさんだけ?

いやいや、そうじゃなかったはず。

たとえばさっきの北京駅。

電車でどこかへ移動しようとする。

切符売り場へ向かって、みどりの窓口的な対面式切符売り場に並ぶワケだ。

いや、並ばない。

あいつらは並ばない。

今は並ぶかもしれないけど、当時は並ばなかった。

無数の男どもが「俺も俺も!」と切符売り場の「小窓」?みたいなとこに手を突っ込んで来る。

これは日本の。こんなの想像してください。

お札を握った手をこの狭い隙間に突っ込む。

我先にと突っ込む。

一度に何本もの手が突っ込まれるこの隙間の身にもなってみろ、と。

そして全員が行先と枚数(たぶん)をわめき散らす。

向こうの駅員さんも大声でわめき散らす。

誰の対応してるのか駅員さんもわかってない。

その手がどの声の主なんだかわからないんだから。

もうね、アホかと。

登場人物全員アホかと。

もちろんおじさんもチャレンジしましたよ。

結果はね、買えませんでした。

当然です。

中川家並みのおじさんのカタコトの中国語なんて「シャンハイ1枚!」でさえ通じませんでした。

ただ手の甲が傷だらけになっただけでした。

狭いところに手を突っ込んじゃダメです。

でも上海に用事があったので電車に乗らなきゃ話にならない。

するとその様子を見ていた構内巡回の駅員さんがおじさんの肩を叩く。

手招きして「来い」と。

どこの国でも、この「ついて来い」のしぐさは共通。

ついて行くと、広い応接室のような切符売り場に案内された。

椅子までおいてあるし、行先表示に英語も併記してある。

ガラガラ。

中国人はおろか乗客が居ない。

ひとりだけ欧米人が座っていたのを今でも覚えている。

たぶん外人専用きっぷ売り場。

そんなだからスムースに切符購入。

やたら高いなぁと思ったものの、仕方なく上海行を1枚購入。

数時間後に乗った電車は日本でいうところの豪華特急みたいなやつだった。

出発時に座ってたのは全員が「外人」だった。

話をもどせば、こんな感じで当時の中国は外人が区別されてた時代だった。

「そんなの電車だけだろ?」

いや、そうじゃない。

まだまだあるおじさんの昔の中国のクソみたいな話。

また明日にでも。

それでは今日も元気に行列しようぜ。

では!