諦め

おはようございます、ちょっと小さいおじさんです。

今朝も晴れ。

傘は不要の様子。

さて。

かなり気分が悪い。

怒り、とかではなく、諦め、とでも言おうか。

「諦める」というのは非常に大きな苦痛を伴うものだ。

自国の領土をウクライナに獲られる。

西側の後ろ盾を前にしてやむなく撤退する。

さぞつらいことだろうと思う。

その土地への思い入れがある。

大地を耕し、そこへ種を撒き、水を与えてきた。

結実を夢見、希望を持った。

しかしその土地を出るこの無念さよ。

諦めるというのは裏にそんな感情を併せ持つものだ。

プロメテウスは形を作った。

しかしそれはただの形だけだ。

命を吹き込むのは誰か。

実はゼウスではない。

自分自身なのだ。

そんな人間はあまたの困難と厄災にまみれる。

でも最後に希望が残った。

最後の希望は文字通り希望だった。

人間は希望というものも教えられていた。

それを棄てる事の無念さと絶望。

諦めることに躊躇があるなら、それは棄てていないことになるのか。

それでは今日も頑張っていきましょう。

では!