おはようございます、ちょっと小さいおじさんです。
今朝はこどもの日。
デカくなっても子供は子供。
さて。
先日の事、ちょっと珍しい事があった。
日々の勉強のことなんだけどね。
いつもおじさんが課題を与えているんですわ。
主に数学。
たまに科学と物理。
それ以外はほぼ関与しない。
英語くらいかな。
英語は言い回しや単語など、日々の会話で織り交ぜる程度。
「これ、別の単語に置き換えてみ?」
「こういった表現ってなんていうか知ってる?」
「あ、今のアナウンサーの言った意味わかった?」
そんな程度。
メジャーリーグとかドッグショウの実況とか。
そんなの聞きながら。
おじさんがかろうじて英語を理解できるので助かってる。
文法?
そんなの知らん。
それは自分で勉強しろ。
だから受験には役に立たない英語なので力を入れてない。
で、先日あった珍しい出来事とは。
ある日、与えていた数学の問題集を持ってきた。
その問題集ってのは学校から与えられたものではない。
息子君の苦手なジャンル、再復習が必要な重要問題などなど。
そういった課題に着目しておじさんのチョイスした問題集だ。
そのチョイスは重要視している項目がある。
執筆者がおじさんに似ている事、というところ。
これは大事なコト。
例えば、問題を解く→解答を見る→納得する。
こうならなかった時だ。
そんなのはよくある話。
で、もう一度、今度はさっきみた解答を頭に残しながら問題をやってみる。
道は二つ。
ひとつは「ああ、そういう事ね」となるパターン。
もうひとつはまだなんかモヤモヤするパターン。
で、息子がおじさんのとこにやってきた。
「これ、どう思う?」
場合の数の証明問題だった。
まだ解答をみてないという。
見てないけど導いた自身の答えにモヤモヤしてるらしい。
そんなの解説見てから持ってこいヨ、と思った。
思ったけど。
計算用紙を一枚持ってこさせる。
息子と向かい合わせになってやってみる。
息子にはおじさんの手元を観察させる←コレ重要
で、それを息子に渡す。
息子の解答とおじさんの解答は似ていた。
息子のにはやや冗長した部分が散見されるも似ていた。
やはり親子、というか今まで教えてきたんだから似て当然。
ところが、だ。
息子が問題集の解説をみて声を上げた。
解答がちょっと違ってたのだ。
息子の手から解答を奪ってよく見てみた。
正解ではあるのだが、もっとシンプルに書かれていた。
息子は12行、おさんは8行。
解説は5行。
文字数の都合で端折っているのではなく。
考え方がシンプルだった。
おじさんが常に言ってる「体脂肪率の低い解答」。
それじゃない。
考え方の問題。
脳みその別の所を使ってた。
さっき書いた。
著者がおじさんに似てるかどうかで問題集を選んでいる、と。
理由1.息子が納得しやすい
解説はこう書いてあるけど父親はこう言ってる。
そんなのが理解しにくいのは当たり前なのだ。
別解を知る、と言う点ではいいけどね。
でもまずは最短距離を教えたい。
理由2.コッチの都合
1.と同じ理由で教える側に大きなアドバンテージがうまれる。
その解説の核となるパーツだけを教えればいい。
1から10まで向かい合う必要が無い。
コッチもそんなにヒマじゃない。
ところがこの問題は違った。
ここだけ別人に書かせたんじゃないかと思わせる解答だった。
オイオイいきなり何言ってんの??
この日は何かあったのかい??
そんな感想を抱いた問題だった。
その後、息子が学校に行ってるときに机を漁った。
そして何度か読み直したけど、読めば読むほど感心した。
久々に良問に出会った気がした。
世の中には頭のいいヤツがたくさん居る。
すげーヤツがたくさん居る。
もうおじさんの出番はないのかもしれない。
それでは今日も裏紙に計算して行こうぜ。
では!