息子の話 2

おはようございます、ちょっと小さいおじさんです。

今朝は昨夜の雨がまだ降ってます。

ちょっとメランコリックな気分になりますね。

だったらこの話の続きを書くにはいいのかもしれません。

以前、こんなのを書きました。

書いたら少しスッキリしたというか落ち着いた、というか。

今日は時間的に気分的にこの続きを。

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そして小5のある日のこと。

細かなことはもう半分くらい忘れてしまった。

ざっくりした経緯でいえば、小学校でクラスメイトの女の子とケンカになった。

そこまでだったら普通によくある話。

ところが翌日だったか、その子の親がウチに怒鳴り込んできた。

息子を含め、我々はとても驚いた。

まさかそんなことになるとは思ってもなかったから。

学校での出来事を息子に聞いてみた。

でも元々お話がちゃんとできないような息子の話は要領を得ない。

学校の担任に当時の事情を聴くこととなった。

その子と息子は口喧嘩になり、結果その子に蹴り飛ばされたらしい。

担任も我々の前では「あの子が悪い」的な事を言ってた。

が、結果としてこの事件を機に息子は学校へ行かなくなった。

担任の対応もちょっとどうかと思うようなこともあった。

学校に行かせると、また何か問題が起こりそうで親としても怖かったのもある。

それよりなにより本人が行きたがらなくなった。

そんな状況で、あえてお尻をたたいて行かせることが出来なかった。

公立の小学校だから、通学圏内の生徒たちは近所に住んでいる。

近くのスーパーでその相手の親子が買い物しているところに、偶然ハチ合わせたことがある。

その時の息子は走って逃げ回って店外へでてしまった。

追いかけて捕まえると息子は泣いていた。

もう学校へ復帰させることは無理なんじゃないかと思った。

そんなこともあったので、以来ほとんど引きこもりのような生活をして小学5年、6年を過ごした。

たまに人気が居なくなると公園で20分くらいサッカーボールを蹴って戻ってくる。

我々と外食に出る。

塾に行く。

それ以外はずっと引き込もり生活だった。

たまに学校の先生が来て、様子はどうですかと。

無理して来なくてもいいよ、ほっといてくれ、と思ったけどあまりそんな態度をとるのもどうかと思った。

母親はそうでもなかったらしいが、おじさんはイヤだった。

筋の通らない学校側に腹を立てていた。

でも一緒に当時仲の良かった唯一の友達が来てくれた。

それは息子が喜んでいた。

彼はほぼ唯一といっていいほどの息子の理解者であったと思う。

二人で抱き合っている防犯カメラ画像を今でも持っている。

いつか息子に渡してあげたい。

ザックリ書くとこんな事があって、多くの人とのかかわりあいを持たずに小学生の後半を終えた。

元々支援級に入るかどうかと言われていた息子の対人能力の向上は望めなかった。

やはり普通の同級生とかかわる事がむつかしかったのか。

これだったら支援級で平穏に過ごせばよかったとも思った。

親子でとてもイヤな気分のままの2年弱だった。

このまま地元の中学に進むとまたおかしな事が起こる。

元の小学校の生徒がほとんどその中学校へ来る。

そんな地元地域で暮らすことは、また不登校を続ける公算が大きい。

別の学校を目指し、我々は息子の勉強にさらに本腰を入れるようになった。

ここらで終わり。

続きはまた今度。

では!